2005年03月08日

T#38 林威助【一球撃命・華流大砲】

りんりん
−−− LIN Wei-Zhu −−−

T#38 林 威助

1979年1月22日生まれ
178cm/80kg 左投げ左打ち 外野手
台湾出身
柳川高→近畿大(02年ドラフト7巡目)



【私事……】
うおお……睨んでおる、睨んでおるよ(滝汗)
でも、前のよりは似ていると思う……
どうすればあの雰囲気出せるかなぁ?
こっそり、左目の下に泣きボクロ発見!


(05年3月8日画像改定・途中)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

台湾から来た無名の強打者。
でも“助っ人”ではありません――。

ちょっとだけ昔、台湾にひとりの少年がいました。
幼い頃から負けん気が強く、頭もよかった(お母さん談)少年は、ある日「棒球」に出会いました。
「棒球」って楽しい――少年は次第に棒球にのめりこみ、ついに台湾の少年代表団にえらばられるほどの才能と実力を世に示しました。
そんな彼は、何時しか近くて遠い異国の「棒球」頂点大会の1つである「甲子園」を夢見るようになりました。
一度は台湾の高校(向こうでは中学になる)に入学したものの、夢はあきらめきれずに単身日本留学する決心をしました。

こうして「柳川高・林威助」が誕生しました。
この影には、お父さんの理解と応援があったのはいうまでもありません。
しかし、そのお父さんは今は亡くなられています……運命って時として非情。

柳川高校は、実は彼が3年生のときに甲子園出場しています。
ところが彼は高校在籍期間が通産4年になってしまうため、高校野球参加資格を得ることができませんでした。
(高校野球では一度高校に入学した時点で1年カウント、通産4年以上高校に在籍した計算になる生徒は選手として出場資格が認められない)
この事態に一番驚いたのは彼自身。
2年生の秋の大会で負けたときでも「あと1年ある」と思っていたのに……

彼は柳川高卒業後、祖国には帰らず日本の近畿大学に進学します。
すると一年生の秋大会(新人リーグ)でいきなり首位打者を獲得する暴れっぷり。
日常の練習でもガンガン場外弾を飛ばすので、マネージャさんは球の管理が大変だったそうです。
一方の学生生活も3年生の時点で卒業要件を満たしてしまったとか。
要領と頭がいいのでしょうか。うらやましい。


さて、近大卒業の年、彼はドラフトに掛かります。
大学のある関西の人気球団・阪神からの指名です。

奇しくも母国であこがれ続けた「甲子園」の土をプロとして踏むことになりました。

ところが入団と同時に、彼は持病でもある膝痛の治療に専念することに。
1年目は棒に振ってしまいました。
ここで焦らない辺りが大物だなぁ、と思います。
じっくりと確実に対処いるようで、ムリして悪化したという情報は聞きません。
負けん気の強さが変な方向に出ないところが大きいなぁと思います。


先に書いたとおり、お父さんは亡くなられていて、母国にはお母さんとお兄さんがいます。
入団時のコメントでは、

「早く稼げるようになって、お母さんを楽にさせてあげたい」

あの優しい甘い顔で、この発言。
涙ちょちょ切れる前に、萌え死にそうになりました(マテ)
posted by 青葉和 at 23:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 青葉的選手名鑑♥ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今週の週べのP81に阪神2軍の「林 威助」外野手の記事がありましたよ。
青葉和さんがお好きな林威助選手ですよね、多分。
写真の背番号も38番に見えますし。
まだチェックされてなかったら是非見てみてくださ〜い!
Posted by もつこ at 2005年03月09日 23:13
本当ですか!?
週ベはチェックしてなかったです……(むしろ本屋に行く機会自体が少ないというか)
阪神で二軍で林といえば、中林君でなければこの人だと思います(うわぁ、適当だぁ)
情報ありがとうございます!
明日、店に置いてあるかなぁ……?
Posted by 青葉和 at 2005年03月10日 20:00
確認しました、間違いなく林君でした(笑)>週ベ

相変わらず、パッと見では日本人と見紛う名前……
Posted by 青葉和 at 2005年03月11日 20:10
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